11月13日(土)
昨年亡くなっただぁりんの祖母の一周忌の法要だった。明治42年生まれ、亡くなった師匠と同じ年の生まれだ。94歳の大往生だが、あと4ヶ月頑張ってくれたらひ孫の顔を見る事が叶ったのに、とても残念だった。きっと、おばぁちゃんも無念だったろうと思う。
「男でも良し、女でも良し」昨年10月の末、お見舞いに行った私に、お腹を見ながら言った言葉が思い出される。こう言った後で、「男かもしれん」私を見据えるように見た瞳が印象深かった。その頃はまだどちらとも判らない時だったのだが、女三姉妹で育った私は男の子が欲しかったからなんだかうれしかった。
生まれ来る子を必ず守ると言ってくれたおばぁちゃん。果たして男の子が生まれ、時折り天井の隅を見てニヤッとする息子を見て、「ひーおばぁちゃんが来た?」などと言って私も一緒になって見上げる。
息子の耳はおばぁちゃんそっくりの良い耳らしい。耳にだけおばぁちゃんが現れた。
しかし、浄土真宗のお経は長い。30分みっちりやった後、休憩を挟んで又30分。今日は忙しかったらしく短くしたらしいのだが。それにしても何とまぁと思ったのは、ごえん様(...と皆は呼んでいる、ご住職の事)の大きな声。お経がとても有難く聞こえる。昔はもっと大きな声だったそう。これだけ一生懸命あげて下さる方に出会った事はない。しかも、なかなかの美声!しかも、休憩30分ずっとしゃべり通し。休憩にならないんじゃないかと思うが、こうして人々と話す事で交流が深まるんだなと思った。合計2時間は声出しっ放しのごえん様。素晴らしい。
帰り際「講談はまだ休憩かい?」と聞かれたので「もう始めてますのでいつでも呼んで下さい」と答えた。今度は私がごえん様の前で大きな声を張り上げよう!