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生死

 生きる事と死ぬ事を考えたのは、小学校6年の時。国語の「詩」の授業で「死ぬ事」をテーマに詩を書いた。その年、父が突然亡くなった。考える事と目の前で起きた事実を受け止める事は余りに違いすぎた。お葬式では、目からは涙、鼻からは水。どんどん出て来た。泣いた自分を後から想像して嫌だなぁとがっかりした。何が嫌って、そのぐちゃぐちゃな顔を人様が見ていた事が。
 それから叔父が死んだり、祖父が死んだり、生まれて数時間しか生きられなかった従兄弟に16歳で死んだ従姉妹。大好きな友達に親しくしていた方々と、見送って行く度に、人は死ぬという事を冷静に感じる様になってしまった。時に自分は冷酷ではないだろうかと思う。
 死はいつも突然だ。うわぁと驚き、泣き、それでも冷静な私がいる。
 師匠の時と祖父の時は、だんだんに弱って行く姿を見て行けたから、「いつか」の時がいつか来る事を感じていた。
 そして、私の1番のお客様が亡くなっていた。息子さんの意向で密葬だった。電話をしたら、8月7日に亡くなったと知った。私はこの日何をしていただろう。手帳を開いた。5月から引き続けていた風邪がようやく治り、外出もせず、穏やかな日だった気がする。はっとした。こじつける様だが、5月からずっと体調が悪かったが、調度その頃に回復したのだ。もしかして岡本先生があの世に悪い風邪を持って行ってくれたのではないか?そして、同じ様に、私の体調が悪かったのは、岡本先生が患っていたからではないか?と、ふと思った。
 今日先生のお宅にお線香をあげに行く。「いつか」の日を感じていたから、優先順位は1番で、毎月ご機嫌伺いに行ったし、病院にも行った。たくさんの時間を過ごさせて頂いた。不思議と穏やかだ。出来る限りの事をして来たからだろう。いつでも悔いは残る物。出来る時に出来る事が大事。
 今朝は友人の母上が亡くなった。先月も友人の母上が亡くなった。
 そうして人は亡くなり、また新しい命が誕生する。この世の定め。
 合掌
by hinihiniaji | 2006-09-14 10:37


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