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涙のお線香

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 昨日は、私の大好きな尊敬してやまない齋藤宗厚(そうこう)先生の告別式だった。
私は、恵那の地にいて、亡くなられたのを知った時、すぐにでも飛んで行きたい気持ちになった。

宗厚先生は東京の成城学園で茶懐石料理「一宮庵」(いっくあん)主宰されていた。まだ私が真打に上がる前にイベントで出会い、親しくさせていただいた。講談会を開いて下さったり、ご飯を食べさせていただいたり、一緒に海外へも行った。

私が結婚してからは、仕事で上京した際、良く泊まらせて頂いた。親連れ子連れで泊まらせて頂き、東京で仕事の経費削減を応援してくれた。そんなたくさんの優しさにあふれている宗厚先生が、この世から去ってしまったんだ。

今までの思い出をずっと思い出しては涙しています。
ええっなんで?どうして?こんなに早く死んじゃうの?

まだまだ教えて頂きたい事、お稽古していただきたい事、山ほどあったのに、本当に残念でなりません。

山梨へ窯作りに行って留守の主人に相談し、「告別式になら行ってもいいよ」と、了解を得られ、子供たちにも、ご飯の事、支度の事、いろいろ段取りさせて上京しようと思った矢先、あっけなく行けなくなってしまった。

主の留守の為、、我が家に助っ人に来てくれてる主人の父が、「親戚でもないのに行くのはおかしい」と言ってきたのだ。

旦那が留守、子供が4人。この状態で、急に両親に任せて行くとお願いし決断した私の心が、どんなにことを物語っているか。父は、当たり前の事を言って来た。

お香典をおくればいい、電報を打てばいい、東京に行ったときに線香をあげればいい。
そんなこと百も承知だ。

義理人情で生きてきた神田昌味だ。空間だ。宗厚先生がそこにいるその空間にいたかったのだ。

「子供を4人もみられない」そう言い放つ父に、初めて言い返してしまった。
これまでの10年間、私が仕事、主人が仕事で留守、夫婦二人で留守と、様々な時に、子供の面倒を見てくれた父だけに、父がいれば大丈夫と思ってた私がいた。

あぁそうか、私が身内でもない人の葬式に行くのが気に入らないのか。
そう感じた私は、もういいと思い、新幹線をキャンセルした。

行けないと分かったら、いままでこらえていたものが、爆発してしまった。
息子が昼寝をした後、一人声をころしながら泣いてしまった。
ご家族は、泣かずに看病していただろうに。
なんのお手伝いも出来なかった・・・
本当に悔いばかり。

昨日は、上矢作町にある円頂寺に行って来た。
我が家にはいたくなかったのが本音。
それに、いつもご馳走を届けて下さるので、タッパーがたくさん溜まってしまったからだ。
お返しに上がってきたら、事情を知ったご住職が、立派なお線香をあげさせてくれた。

先生を思い合掌した。
友に感謝。

京都生まれの宗厚先生。 9歳のとき、映画監督の斎藤寅次郎に見出され映画出演のため上京。
斎藤寅次郎監督は、「男は‎つらいよ」で有名なフーテンの寅さんのモデルとなった方だ。
食べることの大切さや楽しさを教えて下さり、昔ながらお茶の世界を斬新なアイディアで工夫された先生。

いっつも前向きに教えて下さった先生。

感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました!
by hinihiniaji | 2013-10-04 15:56


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