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ある日の柱

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 岐阜県多治見市にあるカフェ「かふぇらパレット」に先日久しぶりに行ったら、見慣れない顔がお出迎え。はてな?アルバイト?ママの顔が無い。んー?奥を見てもマスターの姿無し。あれ?玄関外に「主は畑に出ています」の黒板があったから、別に気にもしなかった。
 ランチを注文し、ふらふらと店内を物色する。何も変化無しのいつも通りの店なのだ。ショーウインドーにはケーキ、手作りのパン、壁のインテリアやポストカード、グランドピアノ、その上に置いてあるミュージシャンたちのチラシ...ところがふっと、レジ下に置かれた名刺を見てびっくり!オーナーの名前が違う。
 聞いてみると、やっぱりオーナーが変わっていたのだ。「ママはどうしているの?」と尋ねると、この春、長野県の開田高原にカフェをオープンさせるべく、動いているのだと言う。
 開田!開田高原!思わず笑みがこぼれた。毎年行く位大好きな場所だからだ。「開田にママたちがいると思うと益々開田に行きたくなるねっ」と言ってニコッ!会えなかったけど、開田で会える。開田の春は遅い。早く春になーれ!
 それならば、もう多治見のパレットには来ないだろう。それならば、「柱、柱、どこの柱だったかなー?」と、自分が書いたサインを探す。あったあった!2000年5月24日という日付。しかも写真までまだ貼ってあった!その下には三代目山陽さん。当時の北陽さんのサイン。彼はこの場所で何回講談会をやった事だろう。平成十年と読み取れる。1998年。思えばこの年初めて岐阜県に足を踏み入れた。この男に連れられて...そして今の主人に出会った。まさか5年後夫婦になるなんて、思いもよらない楽しい休日だった。
 その頃、「ここで昌味さんも講談やってー」とママに言われても、なんとなく照れ臭く、この私の、雑踏を離れてのたまにの休日が、講談と一緒になる事を好まなかった。それに、友人知人家族みたいな親しい人たちの前で神田昌味をさらけ出すのが嫌だった。のほほんとしていたかった。のほほーんとしていられるのが、恵那界隈だった。
 今では「是非お願いしまーす」なんてねっ、講談を売り込む程、神経が太くなった。
 あの柱、ずっとあるけれど、「変わる」という事があるのだと知った多治見だった。いつもそこにママやマスターがいて、同じ雰囲気、同じ空気...そうでない事もあるのだと。
by hinihiniaji | 2010-03-11 11:01 | 生活


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