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愛しさとせつなさと

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 女の人生なんて、結婚や出産ばかりがシアワセな事じゃないとは思う。人並みのシアワセって言うけれど、そればっかりじゃないのは分かるんだけど、そんなシアワセを味わって欲しかったな~飯島愛ちゃん。
 「なんでも無いような事が幸せだったと思う」とせつない歌が頭に流れて来た。
 飯島愛ちゃんが一人寂しくこの世を去って逝ったのは、とても悲しかった。なんだかずーっとせつない気持ちでいっぱいになっている。芸能界を引退し、これからを模索していたに違いない、志し半ばでの死。人気が高まり、有名人になればなる程、過去の事が興味津々で語られていただろう。その心の内は判らないけれど、精神を強く保つ事は何かに頼らなければならなかったのかな?
 こんな私でさえ、精神が保てなくなった事がある。電話に出るのが怖くなった事や、部屋に篭って誰とも会いたくなくなったり、或は、明るいうちに家に帰れなくなり、知人の店を転々としたり・・・精神を保つ為に明るい夜の街をさまよってたのかなと思う。
 人前にさらされる楽しさとプレッシャーを思う。孤独な時は孤独に浸ってしまうので、遠く離れた家族の事など考える余地も無い。だけど、今は違う。どんなにどんなに心が疲れてしまっても、落ち込んでも、篭っている暇が無いのだ。それが、ママ講談師神田昌味。
 はっきりと違う昔と今。独身時代と子供を育てている今と。目の前の事を夢中でやるしかない今。止まっている暇無し!「母は強し」と良く人は言うけれど、どうかな?強いのかな?いいや、強いんじゃないな。強くたって、弱くたって、止まれないんだ。頭痛くたって、風邪ひいたって、疲れたってね!でもこれでいい。これがいい。止まれないのがいい。はっきり分かった。誰かの為に夢中で生きる事。
 
 2008年がもうすぐ終わろうとしています。
1号4歳 やっと胃腸風邪が落ち着き、元気に浅草むぎとろの茶そばを食した。
2号2歳 治ったと思った胃腸風邪が又々復活。食べると吐いてしまうので、昼も夜も食事は我慢。そのご褒美に叔母にペロペロキャンディを貰いニッコニコ。だけど、熱が出てダウン。
3号8ヶ月 赤ちゃんながらも胃腸風邪を貰ってしまい、なかなか寝付けず咳こむ。
肝心な母も鼻風邪中!風邪のおっぱいはおいしくない?と、つぶやく12月31日。
 愛しい寝顔を見ながら・・・人のシアワセは様々であっていいと思うけど、こんなシアワセを感じさせてくれたかわいこちゃんたちに感謝をしながら・・・ありがとう2008年。
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by hinihiniaji | 2008-12-31 21:52

命日

 今日23日は父の命日。もう26年も前の出来事。ずいぶん時が流れた。
 「今日はじいちゃんの命日、死んだ日だから、手を合わせようか~」と、子供たちに言ったら、「えー!じいちゃん死んじゃったの~?しげるじいちゃんが死んじゃったの~?」との質問に腰が砕けた。しげるじいちゃんとは、しょっ中我が家に遊びに来てくれる、我が愛する旦那様の父、私の義父の事なのだ。じいちゃんと言えば、子供たちにとっては、1人だけしか頭に無い訳で、2歳や4歳で、会った事もないじいちゃんが死んじゃった日、な~んて言われたって理解不可能だろう。
 先日、大事な友達の師匠がお亡くなりになった。「そう言えば、昌味ちゃんの師匠も亡くなったよね~?亡くなった時、どんな風に思ったんだろう?」と、質問を受けながら、答えられないまま娘が泣き出し、電話を切り、おっぱいとなってしまった。久しぶりの夜中の情報交換だった。だけど仕方ないねっ。毎回こんな風に泣き声で電話を切らなければならない授乳漬けの日々でございます。
 では、お答えいたします。
 私の師匠の場合は、もう何年も患っていて、何回も倒れ、目白の病院に始まり、女子医大、湯島の龍岡ホームという保健施設、鷺ノ宮の有馬病院などと、入退院を繰り返していたので、ある程度の覚悟は出来ていたの。「いつか」という日が来るんだって。だけど、師匠は倒れる度に、奇跡の生還とリハビリで元気になるもんだから、なんだかいつまでも生きてるような気がしちゃってねっ!それに、たいした事は出来てないんだけど、お見舞にせっせと通ったから、順を追って「死」について考えられたのかもしれない。あーそういえば、所沢の病院にも入院してたな~遠かったな~
 私ね、父が死んじゃった時に、死と言うものが恐くて怖くて毎晩震えてたんだけど、時が流れ落ち着いたら「あぁ人は死ぬんだ」と悟ってしまい、それからは、死に対して非常にクールになってしまったの。いつかみーんな死ぬ日が来るんだって。だから、取り乱す事なく、冷静に受け止められた。
 それから、確かに、師匠と言う大きなシガラミから介抱され、縛られていた物がホドケタのも事実。入院中は、行きたいというより、行かなくちゃ、の方が大きくて、精神的に追い詰めてしまうんだよね~。時間を作って通うって、当事の私には大きな事だった。特に、師匠が亡くなった平成12年は、真打になって1年後だったから、その前後はノリに乗ってて、忙しかったんだ~だから余計通う時間を作るのが厳しかった。
 これからきっと、師匠が残してくれた置き土産みたいな物に出会って行く事だろうと思う。人だったり、言葉だったり、思い出だったり、そう、夢もそうかもね!
 実は私、これで、一段としのぶちゃんが飛躍する気がするんだ。こんな事、お悔やみメールで言えないので、いつかブログを読むであろう、愛するしのぶちゃんへ、お伝えします。
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by hinihiniaji | 2008-12-24 01:25

初キウイ24個

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 息子が生まれた平成16年に、ブルーベリーとキウイを記念樹として植えてから4年の月日が経った。ブルーベリーは翌年からわずかな数だけど食べられたが、キウイはなかなか実らなかった。
 グリーンセンターの果樹博士が言う事にゃ、今年が調度実る年!予定ではキウイ狩が出来るはず!だったのだが、この所、かわいい3人のお子たちが、保育園児を皮切りに次々と水疱瘡に感染してしまい、まさかまさかの7ヶ月の赤ちゃんまでがうつるとは驚きでした。しかも、1番ひどく目もあてられないとはこんな事?と言う位の姿で、ただただひたすら看病の日々でした。
 そんな中で、冷や汗者の保護者が2人!なんと両親共に水疱瘡をやってない!!!大丈夫かーーー!アタシタチ!みたいな毎日でした。まぁどうあがいても染つる時には染つってしまう訳で...いや、そう思った時にはすでに潜伏期間とやらがあるらしく、もう手遅れなんだそう。
 「えー!!男の人が大人になって感染すると、もう子供を作れない体になるよ」~と友人くみぃにオドカサレ、「え~!!そうなの~4人目無理~」とナゲクと、「じゃあ潜伏期間中だから、すぐに仕込んじゃえば~」などと言われる始末。ちょっとそう簡単にはいかないよ~~~~~
 流石に3人の水疱瘡くんたちと肩を並べ寝ていると、どうもその菌に侵されているような?そんな気がしないでもないような?おかしな体調でした。
 果たして、私の右胸の上に1つだけアヤシイ疱瘡が出来て、いや~これが水疱瘡かどうか判断が付かない。もしかして38歳にして水疱瘡にかかったのか?いや~判らない。今も覗いて見たけど、確かにポチッと跡がある。いや~どうなのかな~ちなみに旦那様は感染せず、潜伏期間とやらをクリアー出来たようだ。ホッ!
 そんなバタバタな家中にあって、キウイは見事に育ち、家族総出のキウイ狩は出来なかったが、旦那様が一人孤独にキウイ狩をしてくれ、24個のキウイを収穫した。
 味も良く最高ね~と思っていたら、こんなハートの形のキウイを発見!
 シアワセにゃ~昌味一家から一足早いハッピーメリークリスマス!
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by hinihiniaji | 2008-12-18 23:25

四十七士inミュージアム中山道

 私の温泉のつかり方は「四十七士の言い立て」をつぶやきながら、が日課になっている。温泉、といっても近所の花白温泉に限ってなのだが。
 この温泉は明知鉄道の花白駅に隣接していて、温泉というよりは、お風呂屋さんのような感じ。中もそうキレイに装飾されている訳ではなく、ソファーも破れてるし、露天もないし、受付のオジサンはなんだかシャイで言葉少ないし、え~こんなんで採算とれるの~?と、いつも疑問に思うのだが、温泉の質はピカイチなのだ。
 だから、どんなに、もっとこうした方がいいんじゃな~い!と、思う点数々あれど、じいばあが我が家に来てくれたり、ご主人様が子供を見てくれるからと言ってくれたりすると、必ず花白温泉に湯治に行く昌味でございます。
 そして、だいたい子供たちが昼寝をする昼過ぎに行くので、なんとな~く、いつも、人気が少ない。だから、講談のお稽古に持ってこい。ひたすらに赤穂浪士四十七士の名前の言い立てを、読み上げる。ひたすらに!これが、私の温泉のつかり方。
 
 先日の討ち入りの日、12月14日は、あっちこっちで講談師が忠臣蔵を吠えていたに違いない。私も、瑞浪市にあるミュージアム中山道にて、「南部坂雪の別れ」をやらせて頂いた。大石内蔵助が討ち入り前夜に、浅野内匠守の妻、瑤泉院の元へ出向き、別れを告げる話だ。
 この話には「四十七士の言い立て」無しでは語れない。クライマックスで
オオイシクラノスケヨシタカ
ドウセイチカラヨシカネ
ヨシダチュウザエモンカネスケ
ハラソウエモンモトトキ
カタオカゲンゴエモンタカフサ
マセキュウダユウマサアキ
.............................................

ってな具合に読み上げるのだ。
何度も稽古をするうちに、名前はごっちゃになるし、兄弟や親子で討ち入りに参加している者が多いから、名前が似ていてややこしいし、それも、くっついていて順番にやっつけちゃえばいいのだが、身分の高いものから読み上げるから、出てくる順番がばんらばら、ふう...
 骨が折れるのです。
 何年も前にえなりかずきくんがこの言い立てをやっていて、ひゃ~小学生なのにすごいなぁと、驚きました。完全に負けたと思いました。そのえなりくんは、今大学生?はて?まだ卒業してないよね~?
 
 さてさて、ミュージアム中山道での講談会、なんとか出来たのはいいんだけど、毎日布団に入っては頭の中を47人の忠臣たちが回り始め、毎日毎日言い立てをやっている昌味でありまする!
 まぁ、これは、いい事なんだけどね!
 仕事来ないかな~3月までは忠臣蔵フェアーなんだけどな~!

 ミュージアム中山道にご来場下さり、隔離された場所で耐えて下さった皆様方、本当にありがとうございました。
 次回、南部坂雪の別れを聴いて下さった時は、遠慮なさらず、四十七士の言い立ての後、「いよっ昌味!」と言い、拍手大喝采をお願い致します。
 なお、拍手を頂いた大変素晴らしい貴重な皆様方、サイコーです。ありがとうございました!
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by hinihiniaji | 2008-12-17 22:44 | 講談

おんぶde講談vol.2

 やっとこさの更新。
 なんだか疲れておりました。
 これで良かったのかな?もっとこの話をすれば良かった。言いたいことばかり言って、誰かを傷つけてしまわなかっただろうか、とか...考えていたら、ブログの前に向き合えなかったのです。
 久々の「おんぶde講談」はとっても楽しかった。公の席での初の「おんぶde講談」。大好きなモーハウスのイベントに出演出来、自分の出産経験やお産の極意をしゃべりまくったけど、時間が足りなくて、もっとこれを、あ~こう言えばもっと良かった。言葉選びは大丈夫だったかな?などと、我が家に戻ってから、なんだか非常に悩まされた。
 
 講談師という職業上、完璧な高座なんてないんだってさっ。先輩方は口々に言う。落語家さんだってそうなんだってさっ。だけど、いつも高座が済んで、家に戻って来ると、非常に憂鬱になってしまうのだ。
 
 
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もっと、もっと、これもあれも、あ~こう言えば良かった...
 「おんぶde講談」は11月3日。いいお産の日のイベントだった。もう1ヶ月以上経っちゃった。は~...とほほ...
 そんなこの1ヶ月とはうらはらで、当日は、行動派産科医・竹内正人先生やモーハウス(授乳服のお店)のカタログに必ず登場されている、モーブラ(授乳用のブラジャー)を共同開発したという、産科医・村上麻里先生にもお会い出来、感激!
 しかもしかも、竹内先生は、以前、我が師匠がお世話になった、湯島にある保健施設の龍岡ホームにも関わっているとかで、なんだかご縁を感じ、またどこかでお会い出来そうな予感。
 それに何よりうれしかったのは、ある女性との出会い。
 名前も聞かなかったし、名乗らなかったので判らないAさんとの出会い。彼女はこの日、授乳服のモデルに応募し、会場に来ていた。楽屋で一緒になり、もう見るからにモデルさん。スラーっとしていて、カッコよく、どこからどう見てもモデルさん。聞いてみると、やっぱり結婚前にモデルの仕事をしていたそう。おそらくモデルの仕事には復帰するつもりはなかったようだったのだが、私の講談を聞いてくれた後、「良かった~私ももう1度モデルの仕事しようかな~勇気をもらった」と、うっきうきで声をかけてくれた。
 こうして、誰かに勇気を与えられれば、私がおんぶで講談をやっている価値が見えてくるのかな?
 「子連れで行ける講談はないので、初めて来られました」と、言って下さったさくらんぼマダム、お嬢を連れて来てくれたま~ちゃんたち、本当にありがとうございました!

 そうですね!子連れで行ける講談会、やってみますか。また来年!
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by hinihiniaji | 2008-12-05 23:19 | 講談