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作品個数500個

 12月26日(日)
 今年の窯焚き最終戦に突入した。テツオウは無事だ。
 先日、窯詰めの際に「作品は一体何個入っているの?」と聞いてみた。おおよそ300個位だろうと思った。
 ところが、花入れ、大壷、茶碗、香合、水指、といった花器、茶器、合わせて200個。お皿、湯呑み、飯茶碗、コーヒーカップ、ワイン呑み、などの食器が300個。ざっと計算してその位だ。
 しかし、それだけの作品を詰めるのに、1日半でやってしまうというのは、なんとまぁ、時間が惜しいからといっても大変だ。常に中腰で、狭い部屋の中にいくつもの、足を組み、小さなものを入れて行く。又、重い壷を少しづつ丁寧に入れて行く。腰には常に下呂膏が貼られている。何度整体に行こうが完治しない腰。
 
 一度だけ、この窯詰めを朝から晩まで手伝ったことがある。決められた順番に窯の中にいるテツオウに作品を手渡して行く仕事だ。夕方になり、今日の仕事が終わり、さぁ、ご飯の仕度をと言う時、鍋を持とうとしてもつかめないくらいヘトヘトだった。ガシャンとなんどやっても下に落としてしまうので、苦笑したテツオウは「もういいよ。あるもの食べれば」と言った。
 初めての事と、割ってはいけないという緊張感で、私はピーンと張りつめていたんだと思う。その緊張の糸がプツンと切れた時、私は自分がどんなに疲れているかを思い知らされた。
 窯詰めというのはそれくらい緊張感のあるものだ。
 さぁ、テツオウが一人で作った、登り窯式の蛇窯の5部屋には、たくさんの作品が入っている。今、又、新たな作品が生まれようとしている。
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by hinihiniaji | 2004-12-26 15:04 | テツオウ

母を許してね!

 12月24日(金)
 胎教に良いからという方法はいろいろあるが、中でも一番なのが「語りかけ」だろう。私もだぁりんも良くお腹の子に向かい話をしていた。1年前のテレビで知ったが、胎児は母親の声しか聞こえなかった、などという実験結果が出たそうだ。だとしたら、どんなに父親やじいじやばあばが話しても聞こえてない、と言うことになる。ザザザザー位の音にしかならないんだろう。しかし、これは科学的な事で、実際は違うと思う。目には見えない、形にはならない、そういったものを私は信じている。心、魂、念。
 驚異のスキンシップ「心を育てる抱っこ法」という本を読んだ。確信できた。やっぱり胎児は何でも解っている。胎児には感じ取る能力、テレパシーがある。
 私は、盛んに我が子に、「なるべく3000グラム弱で生まれてきてね~山岡は寒いから3月になったら生まれてきてね~3月2日位がいいんじゃないの~」などと、良く話していた。
 体重が3000グラムを越えると産むのが辛い感じがした。全くこっちの勝手な考えだ。3月2日と思ったのは、心相科学という脈々と受け継がれるDNA理論、宮城理論を習っている為、きっとだぁりんと同じ性格になる3月2日に生まれてくるだろうと思ったからだ。
 果たして、我愛しの赤子は、2975グラムの理想的な体重で生まれた。そして、日にちは3月1日。今年はうるう年だったのできっと計算できなかったのだろう。(ということにしている)
 しかも、安産。私はすっかり気を良くしてしまった。
 ところが、なんとまぁ赤子に辛い思いをさせていたかという事が解った。胎児は母親の気持ちを受けとめ、一生懸命頑張るそう。もっともっと大きくなりたかったかもしれないし、まだまだお腹に入っていたかったかもしれないし、早くに生まれたかったかもしれない。
 「こうちゃん、まーちゃんは今日謝らなきゃいけない事があります。3000グラム弱で生まれて来てと言ったり、3月に生まれてきてと言ったりして、本当にごめんなさい。こうちゃんの自由に生まれたい時に生まれて、体重だって何グラムでも良かったよねー。まーちゃんがお願いしちゃたから、頑張ってくれたんだ。ありがとねー!次の子の時には自由で良いよって言うね。あっ、でも、次の子の事はこうちゃん関係ないかー」
 と、謝ると、神妙な顔で息子は聞いていた。許してくれたんだろうか?
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by hinihiniaji | 2004-12-25 02:46 | 息子と娘と赤子

大久保から新宿へ

 12月22日(水)
 東京で1番初めに住んだのは大久保だった。何故なら、師匠の住む近くにという考えから、同じ「北新宿」、元の柏木、という住所を選んだ。まだ18歳。親心として師匠の近くの方が安全だと思ったのだろう。「灯台下暗し」とは良く言ったものだ。残念でござった。
 
 先日、久し振りに大久保駅で降りた。もう10年も呼んで貰っている仕事があったからだ。今年は有難いことに2日連続。それに、調度寄席とぶつかったので、運良く出演出来た。
 初日は広小路亭を終え、御徒町から大久保へ向かった。帰りは池袋演芸場に行くので新大久保の駅から乗った。例年通り1日だけだったら気が付かなかったろうが、2日目、仕事を終え、東京駅に向かう為、大久保駅から新宿に出ようとして、懐かしい思い出がよみがえってきた。
 そう、師匠のかばん持ちをして階段を上がり、師匠に付いてホームを歩く。師匠は決まって時計の下で電車に乗った。「昌味くん、知ってるかい?ここが新宿駅で降りるのに便利な場所なんだよ」そういって師匠はニヤッと笑った。「そうなんですかー!」と驚き、果たして新宿駅で階段の前にピタッと電車が止まった時は感激した。「師匠は効率いいなぁ」とやけに感心したものだった。それからというものは、負けじと私も時計の下を目指した。タイミング悪く乗れなかった時は、電車の中を歩いたりした。
 懐かしいなぁ!
 師匠は良く新宿の末広亭に出る時は地下鉄を一駅利用したが、必ず丸の内線の中を歩いていた。そんな師匠に付いていたからだろうか、私も乗換えを効率良くする癖が付いてしまった。
 最近は乗り換えマップがあって便利になった。地道に乗って調べ上げたのが、普通の主婦だとか。暇は金なり。
 
 昨日と言うか今日と言うか、師匠の夢を見た。
 無くなってから何度も夢を見たが、起きるとなんだか師匠が生きているような錯覚を覚える。夢の中で師匠は、どこかのレストランでご飯を食べていた。そこへ私が迎えに行く。約束の時間に行くのだが、師匠は食べ終わり、外に出、ベンチに座り、早い時間から待っていた。 「師匠スミマセン」
 なんだか又謝っていたなぁ!
 師匠、ほんとならもうすぐお宅の大掃除ですねー!
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by hinihiniaji | 2004-12-22 23:08 | 講談

過酷

 12月12日(日)
 過酷さについて考えた。
私は今までどんな過酷な事があったろう。
 新潟にスノボーに行こうと誘われたのに、前の晩遅くまでお客さんの店で遊び、家に帰ったのが1時過ぎ。翌朝、友達がレンタカーで迎えに来てくれるはずが、電話で起こすとまだベッドの中。代わりに車を借りて家まで来てと頼まれ仕方なく、朝早くから阿佐ヶ谷へ行き、車をレンタルし荻窪へと向かった。おぼろげな記憶の中で、何度も道を間違え「勘弁してくれよー」とつぶやきながらヘトヘトになり、やっと着いた。
 友達の運転は過酷だった。私は運転好きで慣れていたが、友達はペーパーに近いのに度胸があり、又、動態視力が弱いとか何とかで、高速道路のトンネルの真ん中にあるポールを擦ったり、右に寄ったり左に寄ったりした。「お願いだから、止まれる所で止まって運転を交代するから」と頼み、やっとの思いで楽になった。
 ところが帰り、「私が運転するよ」と言うのに、彼女には親切心があるのか、同じ疲れているのに、私ばかりに運転させる訳にいかないと思うのか、運転すると聞かず、過酷だった。
 あの時ほんと過酷だったなー。
 そう言えば、たまのスノボー、たっぷり滑りたいのに、友達は化粧に2時間かかった。過酷だった。「先に行くよ」と言ってゲレンデに出たものの、1人でいる事に慣れぬ過酷さが私を待っていた。
 そして、レンタカーを返し、事が済んだ次の日は、1日、布団から這い出せなかった。
 
 テツオウは過酷な窯焚き終盤に来た。9日の昼から焚き始め、予定では、今日の夜11時位までかかるようだ。4日間のうち寝た時間は3時間。昨日手伝いの両親が来て少し寝ただけだ。
 「薪を放り込む、薪を運ぶ、火の加減を見る」の」繰り返し。
 自分から進んで過酷な窯焚きに挑むテツオウだ。私の様に過酷さが後から付いて来たのとは違う。自らの命を削る事で、より良い作品が出来ると信じている。誠心込めて炊き上げた時の快感、至福感、そして、命を吹き込んだ我が子たちが出て来る窯出しは、この上ない喜びなんだそう。
 今はもう、何も口には出来ない状態だ。暑さの中でも水も口に含めない。険しい顔でひたすら横焚きをしている。
 煙突の炎はオレンジ色に天高く輝き、3メートル以上。炎の中にかわいらしい観音様が浮かんでくるのももうじきだ。
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by hinihiniaji | 2004-12-12 15:03 | テツオウ

誕生日プレゼント

 12月11日(土)
 2003年9月24日、私の去年の誕生日プレゼントが、今、窯の中に入っている。小川窯今年4回目の窯焚きだ。
 今年は元日から窯焚きだった。昨年の大晦日は窯詰めだった。年末年始などまるで無かった。人様がお休みの時に働くと言う意味では芸人も一緒だが、テツオウの場合は暦など関係無い様だ。
 今年こそは岐阜の実家でゆっくりしようと言った数日後、年末まで窯焚きだとケロっト言ってのける。私はただ振り回されない様に聞いて聞かぬふりをせねばならぬ。
 年末まで窯焚きならば、年始は窯出しなのだ。私にも休息は無い。赤子の世話で何を手伝うという訳ではないが、ただただ、生存を確認しなければならぬし、働く夫の胃袋補給をしなければならぬ。
 「小川窯は収入が無いから焼物をプレゼントするしかない」と、テツオウは友人に言った。個展での収入も経費に変わって行く。薪代は40万だ。それでも安く仕入れているらしい。何しろ4トントラックで4台分の山の様な薪を自分で割るのだから、少しは経費も浮く。しかし、恐ろしい量だった。材木屋と間違われる位だ。美濃の陶芸家全部集めても叶わない位の量がウチにあると、ある人は言った。
 十畳の部屋の3分の1を埋め尽くしていた9つの大壷。調度私の誕生日に完成した物だ。普通ならばプレゼントを要求しがちなのだが、何故か私はテツオウには何も望まない。望んでも何も手に入らないから悔しいし、「おめでとう」のファックスで十分だったりする。
 そんなテツオウから、私の壷と言われた時はくすぐってくれるな、と思った。
 「現物支給なのか、売ったお金を貰うのか」と友人は聞いて来た。
 
 先日の窯焚きにも3つの大壷を入れて焚いた。一部屋には3つしか入らない。さて、出て来た大壷は、ビードロが八方に垂れ、淡いグリーンが映え、又、黒ビードロが映え、景色のきれいな完璧な伊賀焼き。素敵な物が生まれて来た。手で撫でながら、「良く生まれて来たね」我が子をいとおしく抱く様に手入れをするテツオウを見ると涙が出る。作品1つ1つを「いい所にお嫁に行くんだよ」と言いながらキレイにする。
 私の大壷はどこにお嫁に行くんだろう。考えただけで胸がキュンとなる。
 さて、第二弾大壷達は1500度近い炎の中で、どんな景色を描いているのだろうか。

 年に10回も窯焚きをしていたテツオウだが、今年はどうやら5回止まりだ。今年は長男誕生があり、思うように仕事をこなせなかったのだと思う。「子を持つと60点の人生だ」としきりに言っている。親になるのとならないのとでは考え方が違ってくる。今年は作品の親だけでなく、人間の親になる事が出来たテツオウだ。
 
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by hinihiniaji | 2004-12-11 01:40 | テツオウ

ボケと突っ込み

 12月10日(金)
 我家にはしばらく時計という物がなかった。私が引越しをした1年前、妊婦の引越しとあって心配した母が中野新橋まで来て手伝ってくれた。引越しはハードだ。付け加えるなら嫌いだ。その晩、逆子だったお腹の子がグルーンと痛い位に1回転した。あの時逆子が治ったんだと思う。
 「これはいらない。これもゴミ。この時計はなんかの景品で貰った物だー。いらないなぁ。お母さんいる?」とピンクの小さな丸い置き時計を見て私が言った時、間髪入れず母が「恵那に持って行ってよ。時計が一つも無いから不便だから」と言った。
 あぁなるほど確かに時計は無いけど不自由した事も無い。炊飯器のデジタル時計や、ガスや床暖房のスイッチにあるデジタル時計、これだけあれば用が足りる。しかし母は、目が悪いし(老眼だし)この表示を見る事が困難らしい。
 
 と、言う訳で引越しの荷物の中に入れたのだが、出したのは、それから3ヵ月後の出産後だった。赤子に乳を飲ませる時間やらなんやらで確かに必要になったからだ。
 センスの無い、いわゆるちゃちい時計を見てだぁりんが「陶芸家の家に似合わないなぁ」と言い、仕舞い込んでいた気圧計の付いた時計を出した。窓際に置くと良いと言うので、台所の窓際に置いた。
 「ファイン」「クリアー」「クラウディ」「レイニー」と、4種類の天気予報を赤ランプやオレンジランプ緑ランプで知らせてくれる。ファインには太陽、クリアーには雲と太陽、クラウディには雲と雨、レイニーには雨の絵がそれぞれ描いてあるので、窓の外を見ながら息子に、
「こうちゃん、今日のお天気どうかなー?晴れるかな?ファインだ。赤いピコピコだから晴れるねー?太陽マークだー良かったねー。散歩出来るねー」と話かけるのが日課になった。
 驚きの1週間前、いつものように話しかけていると、
「今日のお天気どうかな?クラウディだねー」と言った時、息子はピコピコランプを見たかと思うと、そっくり返って、天井の電気を見た。「こうちゃん、それは電気や、ボケとんのかー。まーちゃん(私の事)が言ってるのは天気、これは電気」
と、それから毎日ボケとんのかー、電気やー、天気やー、の繰り返し。これが素晴らしい天性の間でやってくれるからおかしい。最近では「にやっ」っと笑いながら電気を見ている。
 
 「農業従事者にする予定だから漫才師にはさせんぞ!講談師なら考えてもいい」父より
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by hinihiniaji | 2004-12-10 23:05 | 息子と娘と赤子

9ヶ月目

 12月1日(水)
 3月1日生まれの息子は今日で9ヶ月目に入った。有難いものだ。先日、友達のしのぶちゃんが送ってくれたビデオで聖子ちゃんのドラマ「たったひとつのたからもの」を観た。自閉症の我が子を死を覚悟しながら懸命に育てるドラマだ。高視聴率をマークしたと聞いたが、やっぱり大物聖子ちゃんだ。しかし、観終わった後、つくづく思った。「子は授かり物」というけれど、本当にそうだなぁと思う。いつも、この子を見ながら、「本当に私、産んだのか?」と思ってしまう事がある。そりゃあどんどんと育って行く訳だから、こんな9キロ以上の子がお腹から出て来たという想像は出来難いが...いったん下界へと出てしまうと、成長の早さに驚く間もなく、毎日が過ぎて行く。日を追う毎に違った事が出来るのが当り前の事で、普通の事の様に感じるのだ。今日はどうした、今日は何が出来た。通り過ぎると、「あれ?ハイハイ出来たのいつだったっけ?」などと考えてしまう位だ。
 昨日から「つかまり立ち」が出来る様になった。私の体につかまりながらヨイショ、ヨイショと立つ。テーブルにつかまりながら立つ。もう、座っているのが退屈な感じ。いつでも立ちたいらしい。
 それに、絵本を一人でめくって「うわぁー」っと発しながら読んでいる。ブームは「いないいないばぁ」それから、お面の絵本。両手で持ち、遊んでいる。ライオンやブタや犬なんかの目がくりぬいてあって、そこに顔を当て、楽しそう!
 「ばいばい」と手を振る事も出来る様になった。
 楽しい毎日をありがとう!
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by hinihiniaji | 2004-12-01 22:04 | 息子と娘と赤子