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ドキュメンタリー

 4月20日10時25分東京會舘へ到着。「おはようございます」「ご苦労様です」と、一門のみんなが声をかけてくれる。遠方だし身重だし、みんなの顔を見れば判る。しかし、「ご苦労様です」が身に染みる。本当にお腹がご苦労様なのだ。
 楽屋で1杯の水を飲みながら新幹線の変更手続きをして、会場へ向かおうと楽屋を出ると、程なく、阿久鯉の師匠であり、私の兄弟子、松鯉兄さんに出会う。事情を話しているうちになんだか泣けて来た。
 一生に一度の晴れの日。そりゃあ一門が全員揃う方がいい。それにこの会場で阿久鯉のパーティーを見届けたかった。前座時代はいつも私の「昌味を味わう会」を手伝ってもらってた。しっかり者なんだけど、たまにドジる姿にギャップが有り過ぎておかしい。前に、慌ててお店に入ろうとして、綺麗に磨かれたガラスにおでこから突っ込んで行ったっけ!まるで小鳥の様にね!そんな思い出が浮かんで来た。
 もしかしたら陣痛は一度来ても遠のく場合もあると聞くし、お終い迄居られるかも?など言う甘い思いは遠に消えていた。陣痛は10分を切り、規則正しく来ていた。
 阿久鯉に会ったら、目から涙がポロポロ出て来た。「おめでとう」「姉さ~ん」「ごめんね~」
 「昌味姉さんが幸せを運んで来てくれました。こんなめでたい事はありません。幸せを貰いました~私の真打のパーティーの日に出産なんて一生忘れられない日です。いつもいい話題を提供して下さってありがとうございます」と、明るい阿久鯉に見送られ、東京會舘を後にする。
 そうなんだよ。私は話題提供キャラなのだよ。いつもいつも!
 名古屋~岡崎間を在来線に乗るよりも、車の方が安全と、主人が名古屋駅迄迎えに来てくれ、無事合流。前回同様、毛布やタオルを積んで、いつ出産体制になってもいい様に又々シュミレーションしているに違いない。
 もうこの時は陣痛の痛みの間は立ち止まり動けずにいた。駅の中で何度となく止まり、わずか1分間の痛みに耐えた。この痛みは、少しずつ少しずつ産まれて来ようと頑張ってる印!一気にバーッと子宮口が開いてしまえば即倒してしまう。それを、我慢出来るわずかな時間で、開いて行くのだという。車中で益々痛みの間隔が短くなる。
 まだ予定日迄4週間ある。これは早産だろうか?赤ちゃんは大丈夫だろうか?いつも私は大丈夫!暗示をかけるのが得意だ。大丈夫だから東京往復も行かせて頂けたと思っている。たいていの人は私の行動を批判すると解っている。ごめんなさいね!でもこれは、私の目が映し出す意味あるドキュメンタリー。
 午後2:30岡崎市の吉村医院に到着。と同時に婦長さんであり担当の助産婦さん沖野さんが到着。きっと私の為に休みの所駆け付けてくれたに違いない。「1週間早いのでお産の家は無理なのでね~」と告げられる。
 今回は吉村医院の病棟の隣に建つ、「お産の家」で出産をしたかったのだ。江戸時代の伝統的建築工法で吉村先生のお友達の棟梁が2年の歳月をかけて造り上げた、素晴らしい建物だ。木、土、紙、竹といった天然素材で造られ、この「いのち」ある家で家族全員立ち合いの元、産んでみたかった。
 3部屋しか無いので予約制となっている。予約しても入れない場合もあるし、何か問題がある時も入れない。
 私へのご褒美はなかったようだ。お産の家は別料金がかかるし、この子が遠慮したのかな?
 すぐに診察、お産体制。主人に見守られながら、痛みと戦いながらも、「いきまない、いきまない、なるべくいきまない」と、マタニティヨガのきくちさかえ先生のお言葉を繰り返し、やがてやって来た心地良い瞬間。午後4:01元気な女の子が誕生。早く産まれたかったの?早かったけど、とっても元気!へその緒が付いたままの我が子を抱き上げ胸の上に乗せる。かわいい!とってもかわいい!あ~幸せ!ありがとう!
by hinihiniaji | 2008-04-22 14:04 | 息子と娘と赤子


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